古文書から戦国時代の先祖を調査する方法

今から400~500年前の戦国時代の先祖調査は、記録が少ないため困難を極めます。

多くの解説書では、戦国時代を一旦飛ばし1000年以上前の「源平藤橘」から江戸時代に繋げようとするのが定跡としています。

ですが、江戸時代に「庄屋」「名主」「村役人」をしていた家系であれば「武士から帰農」の可能性があります。

雇われの主が身の武士たちは行き場を失い、帰農するか浪人となるかの選択肢がないからです。

この場合、軍記物語などに先祖の苗字(名字)が登場している可能性もあります。

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例)先祖の本籍が広島県の場合

  • 毛利氏
  • 安芸吉川氏
  • 小早川氏
  • 安芸武田氏
  • 大内氏
  • 福島氏
  • 浅野氏

の家臣であった可能性があります。

安芸武田氏 大内氏の命を受けた毛利元就等に攻められて滅亡(天文10年(1541年))
大内氏 弘治3年(1557年)大内義長は毛利氏に負け滅亡
安芸吉川 鎌倉時代末期の正和2年(1313年)に宗家が安芸国に移住、岩国へ着任(1600年)
毛利氏 長州移封(1600年)
福島氏 附随して来広したが、改易(元和5年(1619年))

これらの武将達の古文書から、先祖と同じ苗字(名字)の武将がいないか確認します。

陰徳太平記

例えば山陰地方、山陽地方を中心とした地方史として「陰徳太平記」が存在します。

この古文書後土御門院や足利氏の治世にまで記述が及ぶ「中央志向型地方史」となっています。

名前 解説
安西軍策 全7巻で毛利家の元就、輝元、秀元、吉川元春、元長、広家、小早川隆景等にまつわる合戦記録。「陰徳記」の原資料
陰徳記 万治3年(1660年)ごろの成立とみられる軍記物語。大内、尼子、毛利、大友氏ら群雄の興亡の歴史
陰徳太平記 永正8年(1507年)頃から慶長3年(1598年)頃までの軍記物語

先鋒や手柄を立てた人物、今は無き城名や村名が書かれています。

大日本古文書

例えば「大日本古文書(だいにほんこもんじょ)」は、東京大学史料編纂所が編纂・刊行している日本史の古文書集です。

「家わけ文書」では、古代から中世の古文書を22の所蔵者別に収録されており、広島県であれば下記の家文書を確認すればよいでしょう。

  • 第2巻、浅野家文書、1冊
  • 第8巻、毛利家文書、4冊
  • 第9巻、吉川家文書、3冊
  • 第11巻、小早川家文書、2冊
  • 第14巻、熊谷家文書、三浦家文書、平賀家文書、1冊

これらの古文書を調べれば、先祖の名字(苗字)が書かれているかもしれません。

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