日本国中の誰もが「苗字(名字)」を名乗るようになったのは、明治維新後の明治8年2月13日の「平民苗字必称義務令」からです。
鎌倉時代から庶民は名字を持っていました。
学校で習う日本の歴史は、ある一面のみが誇張され、それが真実であるように語られます。
[引用] 「人名のひみつ (名前のはじまり探検隊)」国松俊英 著
確かに、次のようなエピソードを聞くことがありますが、それは非常に稀なケースです。
たった200年前の時代の事ですら、歴史の闇に葬られた真実は無数にあります。
武士にとっては、名字を名乗ることが権利であり義務でした。
武士以外の人たちは、苗字(名字)を持っていましたが、その苗字を使うことが許されていないので、「村越村 作兵衛」などと名乗っていました。
「村越村」は「屋号」と呼ばれます。
幕府や藩の公式の記録だけをみていると、武士以外は誰も名字が書いてないため「名字を持っているのは武士だけだ」と錯覚してしまいますが、そうではありません。
例えば、江戸時代の俳人「小林一茶」は、農家です。
それでも「小林」という名前があります。
明治元年の時点で、苗字(名字)を公称できたのは、全ての国民(約3300万人)の6%(200万人)だと言われています。
苗字(名字)に関わる出来事を次にまとめます。
年月日 | 内容 |
---|---|
享和元(1801)年7月 | 苗字帯刀の禁令 |
明治3(1870)年9月19日 | 平民苗字許可令(太政官布告第608号) 平民も自由に苗字を公称できる |
明治3(1870)年11月19日 | 国名・旧官名使用禁止令(太政官布告第845号) 名前に国名(例えば但馬守や阿波守)や旧官名(衛門や兵衛)の使用禁止 |
明治4(1871)年4月4日 | 全国統一の「戸籍法(壬申戸籍)」制定(大政官布告第170号) |
明治4(1871)年10月12日 | 姓尸(セイシ)不称令(太政官布告第534号) 日本人は公的に本姓を名乗ることはできない |
明治5(1872)年5月7日 | 複名禁止令(太政官布告第149号) 公的な本名が一つに定まる |
明治5(1872)年8月24日 | 改名禁止令(太政官布告第235号) 登録済みの苗字(約12万種)の変更と屋号の改称を禁止 |
明治8(1875)年2月13日 | 平民苗字必称令(太政官布告第22号) 国民はすべて苗字を公称せねばならぬ義務 |
以下では、ひとつずつ説明します。
参考 氏、姓、苗字、名字の違い
参考 屋号の豆知識
享和元(1801)年7月に出された江戸幕府の政策です。
苗字・帯刀は武士の特権とされ、名主など特別な旧家を除いて平民は苗字を名乗ることを禁止されました。
※庄屋、名主、町年寄、御用商人、孝行者や特別に功労のあったものは苗字が許されることもありました(ただし一代限り、永代にわたるなど様々でした)。
このため、「江戸時代の庶民には苗字がなかった」と語られていますが、前述どおり庶民にも血縁共同体の家があり、それを表す名もありました。
明治3(1870)年9月19日に「平民苗字公称許容」を明治政府が布告しました。
【原文】 自今平民苗氏被差許候事 【現代訳】 これより平民、苗字差し許され候こと
「苗字(名字)をつけなさい」というのではなく「使用することを許す」という許可令です。
ここから、使えなくなった苗字(名字)を平民も自由に公称できるようになりました。
ようするに、公的な場で苗字(名字)を名乗れないのは、明治3年(1870)9月までの69年間だけです。
なお庶民にとっては苗字を名乗るようになると新たに課税がされるのではないかと警戒し、名字の届け出を行う庶民は少なかったとされています。
明治3年11月19日の「国名・旧官名使用禁止令」で次のように布告を出します。
【原文】 旧官人元諸大夫侍並元中大夫等ノ位階ヲ廃シ国名並旧官名ヲ以テ通称ト為スヲ禁ス 【現代訳】 国名並びに旧官名をもって通称にあい用い候儀停(とど)められ候こと
官名にあたる名前をそのまま付けることは許されないので「改名」をしなさいという禁止令です。
しかし、この規定を積極的に守ろうとする役所と、そうでない役所あり、政府の意思は統一されませんでした。
明治4(1871)年4月4日の「戸籍法」の布告で、国民すべてを「戸」(つまり家)において把握しようとしました。
いわゆる「壬申戸籍」です。
ただし、「新平民」「元穢多」などの差別記載があり、1968年に閲覧禁止となっています。
明治4(1871)年10月12日の「姓尸(セイシ)不称令」で、古来から続いた氏(うじ)と姓(かばね)は廃止されました。
これで「苗字(名字)」に集約されることになりました。
明治5(1872)年5月7日に「複名禁止令」が布告されました。
【原文】 従来通称名乗両様相用来候輩自今一名タルベキ事 【現代訳】 通称・実名のうち、どちらかを名とすべきこと
つまり個人を確定するものである。
たとえば「西郷吉之助隆盛(たかもり)」は通称を捨てて「西郷隆盛」を選びました。
明治5(1872)年8月24日に「改名禁止令」が布告されました。
これにより、すでに登録済みの苗字(名字)の変更を禁止しました。
個人の識別のために苗字(名字)を使うことを定めたため、安易な変更を禁じるのが目的です。
明治8(1875)年2月13日に「平民苗字必称令」が布告されました。
【原文】 平民苗字被差許候旨明治三年九月布告候處自今必苗字相唱可申尤祖先以来苗字不分明ノ向キハ新タニ苗字ヲ設ケ候様可致此旨布告候事 【現代訳】 平民に苗字を許す旨明治三年九月に布告したが、今より必ず苗字を唱えるべく申す、もっとも祖先以来苗字が分からない者は新しく苗字をもうけるよう布告する
これが、平民も苗字(名字)を「使わなければならない」と定めた法律です。
また、どうしても祖先以来の苗字(名字)が判らない者は、新たに苗字(名字)を付けることを許可しました。
この際に、大きく4種類ぐらいの苗字(名字)の付け方がありました
何年も苗字を名乗らないうちに忘れられたり、次男、三男の分家が続いた家などは苗字(名字)なしという家庭もありましたが、多くは先祖が名乗っていた苗字(名字)を復活させました。
この「2)」だけが誇張されて現代人に植え付けられていますが、先祖代々の苗字(名字)を残すため
など、工夫を凝らしていた家庭もありました。
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