日本昔話にでてくるおじいさんとおばあさんの年齢をご存じでしょうか?
例えば、御伽草子にかかれている一寸法師はおばあさんが41歳の時の子供です。
【原文】
中ごろのことなるに、津の国難波なにはの里に、おほぢとうばと侍はべり。
うば四十に及ぶまで、子のなきことを悲しみ、住吉すみよしに参まいり、なき子を祈り申すに、大明神だいみょうじんあはれとおぼしめして、四十一と申すに、ただならずなりぬれば、おほぢ喜び限りなし。やがて十月と申すに、いつくしき男子をのこをまうけけり。[引用] 御伽草子
【現代語訳】
そう遠くない昔のこと、摂津の国の難波の里にお爺さんとお婆さんがおりました。
お婆さんは四十歳になっても子どもができないでいたことを悲しんで、住吉大社にお詣りし、子どもを授かるようにお祈りしたところ、大明神も深く同情なさって、お婆さんが四十一歳の時、ついに懐妊したので、お爺さんもこの上なく喜びました。そして十ヶ月経つと、何ともかわいらしい男の子が生まれたのでした。
今は40歳と言えば中年ですが、昔は「老人」と見なされました。
「寿命図鑑」いろは出版に次のように書かれています。
時代 | 平均寿命 |
---|---|
旧石器時代 | 15歳 |
縄文時代 | 15歳 |
弥生時代 | 18歳~28歳 |
古墳時代 | 10~20代 |
飛鳥・奈良時代 | 28~33歳 |
平安時代 | 30歳(貴族の寿命) |
鎌倉時代 | 24歳 |
室町時代 | 15歳 |
安土桃山時代 | 30代 |
江戸時代 | 32~44歳 |
明治時代 | 44歳(明治24~31年) |
大正時代 | 43歳(大正10~14年) |
昭和時代(戦時中) | 31歳(昭和20年) |
平成時代 | 82歳 |
[引用] 「寿命図鑑」いろは出版(2016年)
この中では、日本人の平均寿命は、奈良時代や平安時代は約30歳であったのに対して、鎌倉時代には24歳となっています。
これは鎌倉時代の災害や疫病の影響により平均寿命年齢が下がったと考えられます。
さらに 室町時代では平均寿命年齢は15歳となり極端に寿命が短くなっています。
これは 天候による食物の不作・一揆・戦国時代が長期に渡ったこと が大きな影響を及ぼしていると考えています。
平均寿命とは「この年に亡くなった人の平均年齢」ではありません。
「0歳児の平均余命(0歳児まで生きられた人は、平均ここまで生きられる」という意味です。
昔は乳幼児が若くして死んでいたからです。
このため、江戸時代の平均寿命が30代~40代なのは、新生児・乳児の死亡者数を含んでいるからです。
例えば平安時代を生きた有名な「安倍晴明」は、生誕「921年」死没「1005年」で83~84歳で他界しました。
また、江戸時代の有名人にも多くの長寿者がいます。
名前 | 享年 |
---|---|
葛飾北斎 | 88歳 |
曲亭馬琴 | 82歳 |
島津義弘 | 85歳 |
毛利元就 | 74歳 |
徳川家康 | 73歳 |
杉田玄白 | 84歳 |
伊能忠敬 | 73歳 |
水戸光圀 | 73歳 |
下記の表によると、60歳の平均余命は、男性14.3歳、女性13.3歳だそうです。
要するに、13歳まで生きた男女児は60歳程度までは生きることができた事を表しています。
[引用] 「19世紀初期の庶民の生命表-狐禅寺村の人口・民政資料による-」立命館大学 長澤克重氏
このように、平均寿命が低いから長寿がいなかった訳ではありません。
江戸時代後期に歌川国芳によって描かれた浮世絵です。
六人の老人が茶飲み話をしている画面上部に6種の狂歌が書かれています。
[引用] 歌川国芳「田家茶話六老之図」
「シワが寄る ほくろができる 背はちぢむ あたまはハゲる 毛は白くなる」
「手はふるふ 足はよろつく 歯はぬける 耳はきこえず 目はうとうなる」
「身におふは 頭巾えり巻 杖 眼鏡 たんこ温石 しびん 孫の手」
「くどくなる 気みじかになる 愚痴になる 心はひがむ 身は古くなる」
「聞きたがる 死にとふながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話をしたがる」
「またしても おなじはなしに 子をほめる 達者自慢に 人はいやがる」
江戸時代の老人の感性は現代の老人とまったく同じだったようです。
当時は7,80歳の幕臣もざらでした。
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