家紋(Family crests)は、平安中期(1100年以降ごろ)に公家の牛車の紋所として生まれました。
その後、古くから出自(しゅつじ)などの家系、血統、家柄、地位を表すために用いられるようになりました。
さらに武士にも普及し、武士は戦場で旗印や幕に「家紋」と描き、自己をアピールしたり、敵味方を区別したりするのに利用しました。
約241種5116紋以上の家紋があると言われています。
家紋の起源は大昔に洞穴に彫刻したり、衣類に織り込んだり、それぞれの用具に付けたりした簡単な標が始まりです。
その後さまざまな模様に発展していきました。
お墓同様、家紋が支配者階級から一般庶民に広まっていくのは、江戸期の高度経済成長時代といわれている元禄の頃(1688年 - 1707年)からです。
庶民に広まるにつれて、装飾に凝るようになってきました。
さらに、女紋として「揚羽紋」が伝わっている家が西日本地域には多いのですが、これは平家の女系の流れであることを示している場合が多いです。
江戸時代になると、装飾的な家紋が自由に創作されるようになりました。
逆にいうと、祖先を探る情報として役に立つのは、元禄時代以前から用いられていたと思われる家紋となります。
比較的自由に使われるようになった家紋は「通紋」と呼ばれました。
代表紋(だいひょうもん)・表紋(おもてもん) | その氏族の代表的な家紋として用いられる |
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定紋(じょうもん) | 公式に示すための正式な家紋として用いる |
替紋(たいもん) | 定紋以外の家紋として使用 |
通紋(つうもん) | 江戸時代に武家でなく庶民も利用 |
拝領紋(はいりょうもん) | 家臣が主君から授かった君主の家紋 |
婚姻や分家などで、本家の家紋が使えなくなった時に、本家の家紋のデザインを真似て作ることが多く、そうした意味において家紋には親族を探るための多くのヒントが隠されています。
また、重要なことは、ひとつの家が複数の家紋を持っているということです。
お墓などに刻まれた家紋が違うからといって、そのお墓はご先祖のものではないと判断するまえに、その家紋が自分の一族で使われた形式がないか、もう一度調べてみて下さい。
発生したころの「家紋」はすべて「丸なし」でした。
丸を付けるようになった理由は二つ考えられます。
例えば「五三桐」の家から分家した家は「丸に五三桐」を使って、本家と分家の違いを明らかにしました。
また、江戸時代になると「家紋」は紋付きの普及で衣服に描かれることが多くなり、その際には「丸」をつけた方が美しく、すわりよく見えました。
「家紋」は「苗字(名字)」と同じくらいルーツを如実に物語るものです。
例えば
を多用しており、苗字が違っていてもこれらの家紋を使用している家は、何かしらの関係があると推測されます。
例として「田中さん」の「家紋」とそのルーツとして可能性が高いものを列挙します。
宇多源氏 | 四つ目結(よつめゆい)、五三桐(ごさんのきり)、菊、二つ引き |
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橘姓 | 左三つ巴(ひだりみつどもえ)、七九桐(しちくのきり) |
桓武平氏 | 梶の葉、六菱(むつびし)、五三桐(ごさんのきり)、右三つ巴 |
藤原北家 | 横木瓜(よこもっこう)、左三つ巴 |
清和源氏 | 釘抜き、片喰、鎧蝶(よろいちょう)、石畳(いしだたみ) |
村上源氏 | 梅鉢(うめばち) |
大江氏 | 五七桐、鳳凰丸 |
ただし「五三桐」は宇多源氏と桓武平氏、「巴」は橘姓と桓武平氏、藤原北家が利用しているので、「家紋」だけでは決めることはできません。
先祖の出身地などを考慮して更に調べます。
また、例以外の「家紋」を使用している場合は、
可能性を念頭において、調査を続けて下さい。
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